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自由脱糞党

ゴルバチョフって誰なん?

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旧ソビエト連邦(ソ連)の最後の最高指導者だったゴルバチョフ元大統領が死去。
東西冷戦を集結に導き、核軍縮を推進。ノーベル平和賞を受賞しました。

ゴルバチョフとは

ロシア南部の貧しい農家に生まれ、モスクワ大学在学中に共産党に入党。
スピード昇進を重ね、1985年に54歳の若さでソ連の最高指導者であるソ連共産党書記長に選ばれました。

それまでアンドロポフ、チェルネンコと高齢で病気がちな指導者が続き、短命に終わっていたので、ゴルバチョフの登場はとても新鮮だったといいます。

ゴルバチョフが最高指導者になった80年代後半のソ連は、長く続いた冷戦の影響で疲弊していました。
ソ連を立て直すため、ゴルバチョフは「ペレストロイカ(立て直し)」「グラスノチ(情報公開)」
を掲げ、自由化と民主化を積極的に推し進めます。

それまで対立していた欧米諸国とは「新思考外交」を掲げて関係改善に取り組みました。
1987年にアメリカと中距離核戦力(INF)全廃条約に調印、核軍縮の流れを作りました。

1989年には東西冷戦の集結を宣言。
1990年、それまでの共産党の一党独裁から複数政党制を容認し、憲法改正を行いソ連の初代大統領に就任しました。同年、ノーベル平和賞を受賞。

しかし、ソ連国内では社会が混乱し、支持は低迷しました。
1991年8月に発生したクーデター未遂をきっかけに、ロシア大統領のエリツィンに政治の実験を奪われます。
同年12月に大統領辞任に追い込まれ、ソ連は崩壊。ソ連の最初で最後の大統領となってしまいました。

愛称はゴルビー。

分かれる評価

東西冷戦を終わらせ、核軍縮を進めたゴルバチョフをたたえる声は、国際社会でたえません。
しかし、ロシア国内ではソ連崩壊の混乱を招き、ロシアの国際社会での地位を低下させたと評価が低く、人気がないといいます。

国葬は見送られ、プーチン大統領は病院で別れを告げましたが、9月3日に行われた告別式は「会議などで多忙」を理由に欠席しました。
告別式にはメドベージェフ前大統領やハンガリーのオルバン大統領、各国の駐ロシアの大使らが出席しましたが、各国の要人はほとんど出席せず、寂しい葬儀となったそうです。
どこかの国ではカルト教団の広告塔だった元首相が国葬にされる予定ですが、えらい違いですな。

日本との関係 意外と京都にも来ています

ゴルバチョフは1991年、ソ連の最高指導者として初めて来日し、当時の海部首相と首脳会談を行ったほか、被爆地の長崎を訪問しました。大統領退任後には広島も訪れています。

海部首相との首脳会談では、北方領土問題について議論を交わしました。
海部首相は1956年の「日ソ共同宣言」の履行を求め、色丹島と歯舞諸島の日本への引き渡し義務を強調した上で択捉島と国後島の返還を求めると主張しましたが、ゴルバチョフは「非現実的で受け入れ不可能」と反論。
結局、共同声明には両首脳が北方四島について話し合ったという内容だけが記載されましたが、北方四島の名前が日ソ間の文書に初めて明記されました。

1992年の来日時には京都を訪れ、金閣寺や西陣織会館などを訪問し、「土蜘蛛」などの能を鑑賞しました。
2003年には京都・滋賀で行われた「第3回世界水フォーラム」に出席、2007年には立命館大で、地球温暖化をテーマにしたシンポジウムで講演しています。

ロシアのプーチン大統領は、ゴルバチョフが招いたソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」としています。
そしてソ連崩壊の混乱時にロシアから離れたウクライナを取り戻し、このときの屈辱を晴らすことがウクライナ侵攻の目的となったのでした。