
【京都】京都人にはおなじみ?『鎌倉殿』の謎武将
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第40回「罠と罠」に登場した泉親衡(いずみちかひら)。ドラマでは突然現れ突然姿を消した謎の武将とされていましたが、実は京都人にはおなじみのあのお祭りでいつも目にしている人なんです。


『鎌倉殿の13人』第40回「罠と罠」あらすじ
鎌倉に小県(ちいさがた)の武士・泉親衡が仲間を集め、御所を襲って北条義時(小栗旬)を殺そうと企んでいたという報せが入ります。
この乱の首謀者とされる泉親衡について、鎌倉には誰も知る者はおらず、調べてもなにも出てきません。親衡はそのまま姿を消してしまいました。
実は親衡は鎌倉を揺さぶるために朝廷からつかわされたスパイで、その正体は源仲章(生田斗真)でした。
この「泉親衡の乱」には和田義盛(横田栄司)の息子や甥が関わっていました。息子2人は許されますが、乱に特に深く関わっていた甥の胤長(『舞いあがれ!』の「なにわバードマン」の人)は許されず、和田義盛は不満をつのらせます。
やがてこれが鎌倉を揺るがす「和田合戦」へとつながっていきます…
泉親衡とは
ドラマでは謎の武将とされ、源仲章がその正体という設定でしたが、その実態はかなり違います。
泉親衡は信濃(今の長野県)の武士で、信濃源氏の一族です。信濃源氏は源満仲の子孫で、泉氏として栄えました。
ですので謎でもなんでもなく、むしろ名門の人です。
1211年、親衡は源頼家の子である千寿丸を擁立し、北条義時を倒そうと図ります。
しかし、仲間を集めているうちに陰謀が露見しました。
仲間の御家人は捕縛され、親衡は戦い、混乱に乗じて逃亡しました。
これが世にいう「泉親衡の乱」です。その後の親衡の行方は不明です。
親衡は大力の士として知られ、竜の化身であるとかサイを退治したとか、様々な伝説が生まれました。
泉親衡と京都との意外な関係
京都の夏の風物詩である祇園祭。その一番の見所である山鉾巡行は、前祭では長刀鉾を先頭に23基、後祭は10基の山鉾が巡行します。
その長刀鉾の主祭神が「和泉小次郎親衡」であり、長刀鉾の天王座にはその人形が祀られています。
この「和泉小次郎親衡」が泉親衡なんです。
親衡は、平安時代の名工・宗近が祇園社に納めた長刀を自分のものにして愛用しましたが、さまざまな不思議なことが起きたために返納したといいます。
伝説の豪傑であることから、親衡を主祭神として祀られるようになったのでしょう。
長刀鉾の主祭神であるにもかかわらず、ドラマでは単なるスパイのような扱いを受けてしまった泉親衡。
せっかく登場したのに、どうやら京都の人はほとんど気づいていない模様…