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歴史

【京都市中京区】新選組聖地巡礼 土方歳三が拷問に使い 山南敬助が切腹した「旧前川邸」 

歴史, 観光

幕末、壬生の郷士宅や寺院は新選組の屯所(宿舎)に使われました。そのうちの1軒である「旧前川邸」には、当時の貴重な建物や土方歳三が古高俊太郎を拷問する際に使った蔵が今も残されています。

旧前川邸

前川家は壬生の郷士で、その邸宅が1863年から約2年間、新選組の屯所として使われました。同じく郷士宅だった近隣の「八木家」とともに、当時の貴重な建物が今に残されています。

新選組の副長や総長をつとめた山南敬助が切腹した場所であり、東の蔵は「池田屋事件」のきっかけとなった土方歳三による古高俊太郎への拷問が行われた場所でもあります。

「池田屋事件」のきっかけとなった拷問が行われた東の蔵

古高俊太郎は近江出身の尊皇攘夷派の志士で、諸大名や公家の屋敷に出入りし、情報活動と武器調達にあたっていました。新選組に捕らえられた古高は、前川邸の東の蔵で土方によって拷問されます。

東の蔵は2階の床の一部が開くようになっており、荷物昇降用の縄が梁から吊るされています。
古高は2階から逆さ吊りにされ、凄惨な拷問を受けたとされており、ついに尊皇攘夷派によるクーデターの計画を自白しました。

この計画というのは、京都の町を焼き払い、天皇を長州へ連れ去ろうというもの。これを阻止するため、新選組は池田屋に集まっていた志士たちを襲撃し、壊滅させました。これが有名な「池田屋事件」です。この事件によって尊皇攘夷派は貴重な人材を失い、明治維新が2年遅れたとされる一方で、京都の町を守った新選組の名は天下に鳴り響きました。

山南敬助の切腹

山南敬助は新選組発足当初からのメンバーです。隊の重鎮として副長や総長をつとめましたが、やがて近藤や土方と対立するようになり、新選組を脱走します。しかし、追いかけてきた沖田総司に連れ戻され、前川邸の母屋において切腹。介錯も沖田総司がつとめました。

旧前川邸は個人宅のため、通常は内部の見学できません。土曜・日曜・祝日のみ、玄関が解放されて新選組グッズや旧前川邸グッズの販売が行われています。

旧前川邸

住所/京都市中京区壬生賀陽御所町49
Webサイト/https://kyu-maekawatei.com/

新選組グッズ・旧前川邸グッズの販売
営業日/土・日曜、祝日
営業時間/10:00〜17:00