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【京都市北区】紫式部のお墓「紫式部墓所」

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2024年の大河ドラマ『光る君へ』紫式部が主人公。そのお墓とされる場所が、堀川北大路の交差点からすぐ近くにあります。

この場所は、かつては雲林院の境内でした。

紫式部はこの付近で生まれ育ったとされており、この辺りの地名が「紫野」ということから「紫式部」ととなったという説があります(諸説あり)。

墓所の入り口には紫式部と並んで「小野篁」(おののたかむら)の名前が見えます。

小野篁は平安時代前期の学者であり、小倉百人一首にも選ばれている歌人。昼間は朝廷で働き、夜間は地獄で閻魔大王の補佐をしていたという伝説があります。

『源氏物語』の注釈書『河南抄』によると、紫式部の墓は雲林院の小野篁の墓の西にあったとされており、そこからこの場所が紫式部の墓だとされるようになりました。

こちらが小野篁の墓。

こちらが紫式部の墓です。

なぜ小野篁と紫式部の墓が同じ場所にあるのか

紫式部には『源氏物語』で愛欲を描いた罪で地獄に落とされたという伝説があります。その紫式部を篁が閻魔大王にとりなしたとされ、その縁ですぐそばに墓が作られたようです。

墓域は1937年(昭和12年)に整備され、1989年(平成元年)に歴史学者の角田文衛氏が揮毫した顕彰碑が建てられています。

小野篁の顕彰碑もあります。

紫式部墓所で愛でるムラサキシキブ

紫式部にちなんでその名がつけられたという「ムラサキシキブ(紫式部)」は、シソ科ムラサキシキブ属の落葉低木。北海道から沖縄まで日本各地で見られ、6月ごろに薄紫色の花を咲かせ、秋になると紫色の美しい実をつけます。

実が美しいので観賞用に植えられることも多く、京都では名所として正覚寺平野神社、紫式部墓所が知られています。

紫式部墓所でムラサキシキブを見られるのは、墓所の入り口付近。

ムラサキシキブは9月から10月にかけて見頃を迎えます。
紫式部の墓所でムラサキシキブを鑑賞するというのが、なんだかおつな感じがしますね。

小野篁卿墓・紫式部墓所

住所/京都市北区紫野西御所田町