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【京都市北区】紫式部のお墓「紫式部墓所」

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2024年の大河ドラマ『光る君へ』は紫式部が主人公。そのお墓とされる場所が、堀川北大路の交差点からすぐ近くにあります。

この場所は、かつて雲林院の境内でした。

紫式部はこの付近で生まれ育ったとされ、この辺りの地名が「紫野」ということから「紫式部」という通称となったという説もあります。

墓所の入り口には紫式部と並んで「小野篁」(おののたかむら)の名前が見えます。

小野篁は平安時代前期の学者であり、小倉百人一首にも選ばれている歌人。昼間は朝廷で働き、夜間は地獄で閻魔大王の補佐をしていたという伝説があります。

『源氏物語』の注釈書『河南抄』によると、紫式部の墓は雲林院の小野篁の墓の西にあったとされており、そこからこの場所が紫式部の墓だとされるようになりました。

こちらが小野篁の墓。

そしてこちらが紫式部の墓です。

なぜ小野篁と紫式部の墓が同じ場所にあるのか

紫式部には『源氏物語』で愛欲を描いた罪で地獄に落とされたという伝説があります。その紫式部を篁が閻魔大王にとりなしたとされ、その縁ですぐそばに墓が作られたようです。

墓域は1937年(昭和12年)に整備され、1989年(平成元年)に歴史学者の角田文衛氏が揮毫した顕彰碑が建てられています。

小野篁の顕彰碑もあります。

小野篁卿墓・紫式部墓所

住所/京都市北区紫野西御所田町