【京都市東山区】三条の土下座像はいったい誰でなぜ土下座しているのか「高山彦九郎 皇居望拝之像」
京阪三条駅近くにある“土下座像”と呼ばれる像。待ち合わせの定番として京都では有名ですが、不思議なことに、これが誰でなにをした人なのか、なぜ土下座をしているのかを知る人はあまりいません。
「寛政の三奇人」高山彦九郎
この銅像の人物は、高山彦九郎といいます。
高山彦九郎(1747〜1793年)は江戸時代後期の人で、勤皇の思想家。林子平、蒲生君平とともに「寛政の三奇人」のひとりとされています。ちなみにこの場合の「奇」は「へんな」という意味ではなく「すぐれた」という意味だそうです(彦九郎は奇行の多い人物だったそうですが)。
彦九郎は顔色が赤く、髪は総髪、びんはそそけ立ち、髭が荒々しく、魁偉な容貌をしていたといいます。若くして勤王の志を持った彦九郎は18歳のときに京都に出奔。諸国を歩きながら勤王の志を唱えました。46歳のとき、久留米で突然自刃して亡くなります。自殺の原因にはさまざまな説がありますが、よくわかりません。
吉田松陰をはじめ、幕末の志士たちに大きな影響を与えた人物です。
なぜ土下座しているのか?
この像は、実は土下座をしているわけではありません。
彦九郎は京都に来ると三条大橋の東から皇居に向かい、御所を伏し拝みながら皇室の衰微を嘆いて涙を流したといわれます。この逸話が有名でその姿が銅像となりました。
最初の銅像は1928年に作られ、東郷平八郎が台座の揮毫をしました。しかし、太平洋戦争中に金属類回収令で供出され、現在の像は1961年に再建された二代目になります。
戦前まではその勤王の志からたいへん尊敬された彦九郎ですが、今ではその名を知る人は京都でも少なくなってしまいました。なにかをやらかして土下座していると本気で思っている人もいるかもしれませんね。
彦九郎と彦九郎から影響を受けた人々にとっては不本意かもしれません…
高山彦九郎 皇居望拝之像
所在地/京都市東山区大橋町三条
彦九郎の出身地である群馬県太田市には「高山彦九郎記念館」があります。
高山彦九郎記念館
住所/群馬県太田市細谷町1324-7
電話/0276-32-5632
開館時間/9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日/月曜日(月曜が休日の場合は翌日)
年末年始(12月29日から1月3日まで)
入館料/一般 100円、中学生以下無料
Webサイト/https://www.ota-kanko.jp/spot/spot05/hikokurou/
参考文献
司馬遼太郎『街道をゆく3 陸奥のみち、肥薩のみちほか』(朝日文庫)https://amzn.to/3vH8bd0