【京都市下京区】新選組聖地巡礼 島原に現存する唯一の置屋兼お茶屋「輪違屋」
日本で一番古い花街である島原。「輪違屋」は元禄年間(1688~1704)年に創業し、京都・島原で唯一、置屋兼お茶屋として現在も営業を続けています。
今も現役の置屋兼お茶屋
島原の正式名称は「西新屋敷」といいます。1641年、現在の位置に移転する際の騒動が「島原の乱」のようだったことから「島原」と呼ばれるようになりました。
明治以降は次第に廃れ、昭和に入ってからお茶屋組合が解散して普通の住宅街となりました。現在は「輪違屋」「角屋」「島原大門」だけが当時の面影を残しています。
輪違屋は1688年、太夫や芸妓を抱える置屋として創業します。当時の名前は「養花楼」で、明治以降にお茶屋を兼業するようになり、その頃から「輪違屋」と名乗るようになりました。
現在の建物は1857年に再建されたもので、1871年(明治4年)にほぼ現在の姿となりました。1984年(昭和59年)に京都市指定有形文化財(建造物)に指定されています。
置屋とは:
芸妓や太夫を抱え、求めに応じて茶屋や料亭などに差し向けることを生業とする店。
お茶屋とは:
花街で、芸妓を呼んで客に飲食をさせる店。
芸妓・太夫とは:
「芸妓(げいこ、げいぎ)」とは、歌や三味線、踊りなどで宴席に興を添えることを生業とする女性のこと。「太夫」はその最高位。
1階には新選組局長・近藤勇の書を屏風にしたてた「近藤勇墨跡屏風」、2階には長州の桂小五郎(木戸孝允)の書の掛軸が残されています。
建物内にはあちこちに輪違屋のトレードマークである「2つの重なる輪」と当主が高橋さんであることから「高」の文字が見られます。
現在も現役であることを象徴する主の間の畳。蝋燭のロウが垂れた跡だそうです。
輪違屋は通常は一般には非公開です。中を見学するには数年に1度行われる特別公開を狙うか、お客さんになるしかない…
輪違屋
京都市下京区西新屋敷中之町114
075-351-0261