【京都市中京区】池田屋事件の跡地「池田屋騒動之址」
「池田屋事件」は、新選組が多くの尊王攘夷派の志士を殺傷・捕縛した事件。新選組が名をあげた一方で、これにより明治維新が遅れたといわれる大事件です。
池田屋事件とは
1864年旧暦の6月5日(現在の7月なかば)、祇園祭の宵山の日。この日、池田屋に集まった志士たちは、京の町に火を放ち、中川宮朝彦親王を幽閉、一橋慶喜(のちの15代将軍)・松平容保(会津藩主・京都守護職)らを暗殺、孝明天皇を長州に連れ去りって幕府を倒す足がかりにしようと計画していました。
新選組は四条で「枡屋喜右衛門」として炭薪商を経営する古高俊太郎を捕らえ、この企てをかぎつけていました。
新選組は数隊に分かれて探索を行い、近藤勇が率いる隊が池田屋に志士たちが集まっていることを発見します。
およそ30人いる志士たちに対し、近藤隊は数名ほど(諸説あります)。圧倒的に不利な状況にもかかわらず、近藤隊は池田屋に踏み込みます。
やがて土方歳三が率いる隊もかけつけ、この戦いで肥後の宮部鼎蔵や長州の吉田稔麿など、尊王攘夷派の中心人物を含む7名が死亡し、23人が捕らえられました。
池田屋騒動之址
事件の現場である池田屋は三条木屋町にあった旅籠です。
1960年頃までは当時の建物が残っていたそうですが、その後取り壊されました。建物を残しておけば、いい環境資源になったでしょうに、もったいない…
跡地にはテナントビルやパチンコ店が転々としましたが、現在は新選組をテーマにした居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」が営業しています。「はなの舞」の店前には「池田屋騒動之址」の石碑とパネルが設置されています。
住所/京都市中京区中島町78(海鮮茶屋 池田屋 はなの舞前)