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【京都市中京区】妙満寺の跡地に残る「間部詮勝寓居跡」の石碑 間部詮勝って誰なん?

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寺町通を押小路通から北に上がると、右側に「間部詮勝寓居跡」と書かれた石碑が建てられています。

間部詮勝(まなべあきかつ/1802~1884)は幕末の越前鯖江藩主。寺社奉行・大坂城代・京都所司代を経て、老中となりました。
大老・井伊直弼のもと、老中首座として将軍後継問題や条約勅許問題にあたった一方で、尊王攘夷派を弾圧(安政の大獄)したことでも知られます。

幕末、この「間部詮勝寓居跡」とされる場所には、妙満寺というお寺がありました。
1858年に日米修好通商条約が調印されると、京都の孝明天皇は激怒。間部は天皇をなだめるために上洛し、妙満寺に滞在しました。

妙満寺は昭和に入ってから左京区の岩倉に移転。跡地にはこの石碑だけが残されています。

間部詮勝寓居跡

住所/京都市中京区榎木町